。かってアイドルとして活躍した多くの人が今はどうしているか探し出すところです。できれば再び減益で活動することを応援する壮大な夢があります。あきらめない人だけが、出会いののチャンスが訪れます
2023年11月6日月曜日
少女隊 メンバーまでいるよ
少女隊
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少女隊
出身地 日本の旗 日本
ジャンル アイドル歌謡曲
活動期間 1984年 - 1989年、1999年
レーベル 日本フォノグラム
ポリドール
ビクターエンタテインメント
事務所 ボンド企画
共同作業者 都倉俊一、三浦徳子、秋元康
メンバー ミホ
レイコ
トモ
旧メンバー チーコ
少女隊(しょうじょたい・Shohjo-tai)は、日本の女性アイドルグループ。
来歴[編集]
1983年にオーディションでミホ、レイコ、チーコの3人が選ばれ、結成された。翌年の1984年8月28日に日本フォノグラム(現:ユニバーサル ミュージック ジャパン)からシングル『FOREVER〜ギンガム・チェックstory〜』、アルバム『少女隊Phoon』、12インチシングル『ESCAPE』、ビデオ『少女隊Phoon』を同時にリリースしてデビューする。キャッチコピーは「胸騒ぎ、ザワ、ザワ、ザワ」。
デビュー1周年の1985年8月、メンバーの一人であるチーコが椎間板ヘルニアにより脱退し、新メンバー・トモが加入した。
デビューアルバム『少女隊Phoon』は山本リンダや山口百恵、ピンク・レディーなどを手がけた都倉俊一がプロデュースを担当、アメリカの一流ミュージシャンが参加してロサンゼルスのスタジオでレコーディングしたもので、オール・アメリカロケのビデオ、写真集を同時に発売するなど、既存のアイドルとは一線を画した企画だった。しかし、テレビに露出しないという戦略が時期尚早だったのか、ブレイクまでには至らなかった。少女隊が「一心同体、少女隊」というセリフで出演し、デビュー前に放映される予定だった江崎グリコのCMが、グリコ・森永事件の影響で延期になるなどの不運もあった[1]。その後もチーコの脱退に加え、レイコも負傷し、出演予定だったテレビ番組が3本もキャンセルになるなど、デビュー後の1年間は徹底した不幸に見舞われていた[1][2]。
1985年から秋元康と手を組んでプロモーションの方向を大幅に変更。3枚目のシングル『素直になってダーリン』で『ザ・トップテン』に初ランクイン、TBSのドラマ『夏・体験物語』の挿入曲「Bye-Byeガール」で同局の『ザ・ベストテン』にランクインするなど徐々に人気が上昇。1986年にはレコード会社をポリドール(現:ユニバーサル ミュージック ジャパン)へ移籍、国立代々木競技場第一体育館と大阪城ホールを含むツアーを開催。同年の写真集『少女隊の逆襲』は、「アーティスト路線で売れないなら開き直ろう」といった精神でリリースされたもので、デビュー当初は話題が先行するだけでヒットに至らなかったことを周囲に指摘されて悔しかったことなど、本人たちの本音が綴られている[1][2]。
当時としては異例のアジア向けのマーケティングをデビュー初期から展開し、後期には日本よりアジア各国での人気が高かった。1985年に香港の映画にも出演、1986年と1987年には東南アジアツアーを成功させるなど、香港、タイ、シンガポール、マレーシアなどのアジア各国で人気を誇った。レコード会社を東芝EMI(現:ユニバーサル ミュージック ジャパン)に再度移籍した1988年にはソウルオリンピックのイメージソング「Korea」を歌い、韓国でも大ブレイク。1988年8月18日には日本語の曲が禁止されていた韓国で、戦後初めて放送で日本語で歌った(韓国側の放送局の了解なしに日本語で歌ったゲリラ歌唱[3]。公式には同年9月16日、ソウルオリンピック前夜祭での西城秀樹が最初[3][4])。その影響を受けて韓国でも「セトレ」という3人組の女性アイドルグループがデビューし、台湾でも同じ少女隊というビビアン・スーが在籍していた女性アイドルグループがデビューした。
1989年に解散。メンバーはそれぞれソロで活動していくことになった。4人共女優・声優等で活動したが、ミホとトモは引退している。
所属事務所は、岡田奈々、大場久美子、松本伊代、本田美奈子、新田恵利、福永恵規、高岡早紀らが所属する、女性アイドル中心の芸能プロダクションのボンド企画だったが、同社は少女隊への多額投資も一因となり後に倒産した。
1999年にレイコ、チーコ、トモの3人で1999少女隊として再結成し、デビュー曲「Forever」をセルフカバーした。当初はミホも参加して4人で歌うことが企画されたが、妊娠していたため不参加となったという。
2016年8月24日今まで未CD化だった全音源をCD化したベスト盤『少女隊 Complete Singles Forever 1984-1999』を発売。約25年振りに、オリコン週間チャート75位に初登場。トップ100位入りした。
2016年11月18日に渋谷duoで行われたSUEMITSU & THE SUEMITHのライブにゲストとして少女隊オリジナルメンバー4人が勢揃いし、「Forever」と「Shooting Star We Are(SUEMITSU & THE SUEMITHのアルバム『Bagatelles』にfeat.少女隊として収録された新曲)」を披露した。
メンバー[編集]
ミホ
藍田美豊。1969年8月31日。神奈川県逗子市出身、堀越高校出身、血液型はA型。
解散後は愛田実歩→愛田美歩→藍田美豊と芸名を変更。現在は結婚しており、3人の子供がいる。モデルの入夏は実娘。
レイコ
安原麗子。1969年10月18日。神奈川県横浜市出身、堀越高校出身、血液型はA型。
チーコ
市川三恵子。1969年12月8日。東京都立川市出身、血液型はA型。
椎間板ヘルニアを患い芸能活動が困難に陥ったことと治療に専念するため、活動途中で脱退し引退した。後に結婚し、夫婦で理容室を営む[5][6]。2015年5月3日放送の「明石家さんまの転職DE天職」で紹介され、45歳でテレビに出演した。
トモ
引田智子。1972年11月3日。チーコに代わり途中から加入。初代引田天功の娘。
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